色々な人とお会いすることがあるが、どうも昨今の日本人の大方は、NHKの朝ドラを見ている模様。
外部からもたらされる作り話(外部というのは、自分の内面から求めるものではなく、一方的に提供されるという意味であり
作り話というのはフィクションであるという意味なのですが…)に興味のない私は、ドラマをまず見ないのだけれど、
特に朝ドラの何が嫌かといえば、ライフスタイルさえも強制されるような放映時間。
朝ドラを見てからでないと、何かを開始したくないような気分にさせるところ。
朝ドラを時計代わりにでも流してしまうところ。
15分という短い話で切れらてしまって、先が気になって仕方がなくなるところ。
で、ついつい毎朝見てしまうところ。
結果、ライフスタイルを決定づけられてしまうような、情けない気分にさせられるところ。
でも、そんなにも日本人が見てるなら、これも現代の日本文化の一旦と、ちょっともどって「花子とアン」を見始めた。
今や、朝の時間帯に限定しなくても、朝ドラを見る方法はいくらでもあるのだ。
と、ここから ようやく「花子とアン」のドラマについての話。
中学時代「赤毛のアン」は本当に愛読書でしたからね。村岡花子さんの訳本は暗記するほど読みました。
なので、このドラマを見なかったことの方が不思議なぐらいですが、しかし、今やあの青春は昔の話で…
私は外国も好きだったし、憧れもあったのに、あの頃、本当に英語が大嫌いになって、村岡花子さんとは大違い。
青春期の出会いが、人生を決めることもあるけれど、
そうであれば青春を振り返ることは、自分の原点に立ち返ることだけど、私の場合はそうじゃないからな。
だから、あの頃のことを振り返りたくなかったし、ドラマも見なかったのかもしれないな。