堀内誠一さん、何言ってるのかわけわからない。ものすご〜く読みにくい本です。
最近クリエーターの書く本を探っており、イメージと文体が歓迎する方向にずれていて、
構えているよりは読みやすい事が多かったのだけど、これは「クリエーターって感覚で生きているのねぇ」って感じで、一字一句ほ真面目に読むSacHiOkudAとしては、非常に苦戦いたしました。
何日かけてこの本を読んでいるだろう。もうウンザリ。最後は斜め読み。
最初のテーマの運びはとても心地よかったのです。
絵本への糸口として、西洋絵画史を順におって紹介していました。
まずラスコーの壁画、その壁画を発見した時の少年の思いと、絵本のページをめくるワクワク感が重なってきます。
ウッチェルロ、ボッシュ、ブリューゲル、ホガース…など。
予備知識があるから、すんなり読めたのかなぁ〜 私が密かに賛美しているボッシュが取り上げられているのが嬉しかった。彼はルネッサンス前の人間なのに独創的でファンタステックなテーマで作品を描いている画家です。
それでもやっぱり、この時系列的に画家を紹介している流れの中でラスコーの次に絵本作家のベッティーナがいきなり出て来たのはわけわからなくなったけど。
次に1800年代以降の絵本の創世記時代の作品が紹介されている。
堀内さんの別の本でも紹介されていて、興味を持ったウォルター・クレーンがここでも出て来たよ。
前に彼の確か…「眠り姫」という絵本が欲しくってアマゾンで検索してみたけど、あるわけないね。今や歴史上の資料らしい。。。
そして、すっかり理解不能になったのが、その後に続く堀内氏の「絵本論」です。
例えば、この文章…
「子どもの我々が何かしようとすることはおとなである場合(これはおとながおとなしして生きているだけでも役不足ということはありません。)と、おとなの内なる子どもがさせる部分とがあるに違いなくて、変わったおとなだけが例えば絵本をつくるのではないでしょう。」
たぶん…
「大人が普通に生きているだけでもよいが、子どもになにかしようとする場合には、大人としてなにかする場合と、子どもの視線にたってなにかする場合があるだけであって、
絵本を作る場合にも変わった大人が絵本を作っているという話ではない」
というような事がいいたいのかなぁ〜と推測するけれども
そうやって自分に理解出来る日本語に置き換える作業が、ものすごく大変。
どんなに堀内さんが絵本等に関して卓越した知識や感性をもっているとしても、
本を書かせちゃいけないんじゃないかねぇ〜
専門家の出す本を読んで、度々思うSacHiOkudA。
やっぱりそこには「物書き」という専門家もいるのだからね。
その「絵本論」で力尽きてしまいましたが…その後には
絵本界の現状(といっても12年前に出版された本なのですが…)や可能性等、これから方向について書かれているようですが、もうどうでもよくなっちゃいました。
最後に絵がカラーで90ぺーじにわたって紹介されています。
絵本の挿絵に限らず、子どもの世界を描いたものというようなチョイスです。
ここで、ちょっと嬉しい事がありました。
リューベンスの「息子の肖像」というスケッチを見た時、
これって上野でみた赤ちゃんだ!! とピンときたの。
で、調べてみたら…
これってルーベンスの画力? SacHiOkudAの記憶力? 感性?
まぁ自分の手柄にしておけば、人間幸せでいられるというもの。
堀内誠一氏より SacHiOkudAをどうぞヨロシク。つうことで。